カルトサークル合宿に行ってみた

※日本人ではないです

 

大学の同級生に禅定に誘われたのが最初だった。誘った人をAさんと呼ぶ。
私は精神的問題を抱えていて大学で色々やらかしたのをAさんももちろん知っている。
Aさんとは特段親しい仲ではなかったけど、ある授業を一緒に受けたことをきっかけに、禅定をやってみないかと誘われた。
Aさんが入っているサークルの活動の一環で、昼休みの時にみんなで集まって禅定をすることになっている。
これを練習し続けると、集中力が上がり精神も安定するとか、サークルのみんなも暖かくて性格が明るくなったとかなんとか、いいところがいっぱい。
後から言われたが、私がうつ病に悩まされているのを見て、ずっと前からサークルに誘ってみたかったけど、Aさん自身も宗教くさいと自覚していて、うかつに同級生を誘わないようにしているらしい。
正直宗教くさいと私も思った。
が、他人の趣味を否定するのもあれだし、禅定だけしてみるのは悪いことじゃないと思って、受け入れた。
何より、Aさんともっと仲良くなれたらいいなと思うのが大きかった。

 

そこからは同調圧力のオンパレードだった。

 

Aさんと禅定する場所に行って、他のサークルのメンバーに紹介された。
そして禅定が始まる。脚がくそ痛いしすぐ痺れる。でも確かにこれなら忍耐力を鍛えられるかもしれない。
禅定が終わると、アンケート用紙を配られる。その日の感想を書く欄のほかに、サークルの正式な授業の宣伝も書いてある。
(禅定はサークルに入らなくても参加できる)
授業にも来てみないかと聞かれた。サークルの人たちに囲まれながら。
少し不快だったが、どんな内容なのか興味があったのでいいよと答えた。

 

このサークルの名前はあまり宗教に結び付けないようなものだ。
カーネギーのような自己啓発みたいなもので、リーダーシップを養うことが主な目的みたい。
それもあって、サークルの授業は時間管理とか人生設計とか、それらしいふわっとしたものがテーマとなっている。
それなのに、みんなは禅定を熱心に行っている。
リーダーシップと禅定とはどういう関係があるのか、とても気になっていたのだ。

 

授業は前半と後半に分かれる。前半はサークルの先輩による講義を聞いて、後半は禅定の練習とサークルメンバーで感想を言い合う時間。
何度も授業に行ってみたが、講義の構成は大体下手だった。
テーマだったはずの自己啓発の内容が薄い。やたらと経験談を挟む上に、どうでもいい話ばかりで説得力がない。
一番ヤバいのはどんなテーマも「禅定すれば人生が変わる」という安易な結論をつけられること。
感想タイムもヤバい。みんなプライバシーをさらけ出して、感極まって泣き出す人も。
そして宗教色が授業を重ねるうちにどんどん強くなる。
だんだんとこのサークルの実態もわかってきた。うち以外にも色んな大学に同じサークルがあるが、全てとある財団が創立したもの。
その財団の創立者は、新興宗教の師父でもある。つまり禅定もリーダーシップとやらはカモフラージュで、やっぱり怪しい宗教だった。
講義の内容は、気がつくと師父がどれほど偉大な方で、世界平和という悲願のためにどれほど尽力しているかを説くものになった。
昼休みの禅定の時間も意味不明なことが増えてついていけない。
人体の中には脈輪とやらが十個くらいあって、そこに集中すると光が見えるとか暖かくなるとか逆に涼しくなるとか自分がどこかの大自然の中にいる景色が頭の中で広がるとか。
何回やってみてもそんな不思議な体験がなく、感想を聞かれても「今日は眠かったので」「お腹が空いてるので」と色々弁解を述べるしかなかった。

 

学期の終わりが近づくと、夏休みの合宿の宣伝が頻繁に行われるようになってきた。
みんなでスピリチュアルパワーが半端ないお寺に行って、そこで禅定する、というあまりにも雑な説明に関わらず、周りが合宿を心底期待しているように見えた。
そして毎回毎回私に、行ってみないか?と聞いてきた。
私は今までのサークル活動で上手く脈輪を感じ取れないけど、霊力がすごいお寺に行ってみれば変わるかもしれない!と。
複数人で囲ってくるし、参加料が安いよ!今年は特に面白いから行かないと損!と念を押してくるから、断りにくい。
結局その合宿に参加することになった。

 

詳しいスケジュールを知っておかなきゃと思って、ネットで調べてみた。
サークルのSNSのページはあるけど、合宿のことは全然書いてなかった。
私が合宿に申し込んだのは結構直前なのもあって、まあすぐ連絡が来るだろうと、とりあえずお知らせを待つことにした。
いよいよ五日前になって、注意事項のメールが届いた。
そこには事前に聞いていないことばかり書いてあるのだ。
まず、食事は全てベジタリアン。これはあまり意外じゃなかった。
マットレスは準備されるけど、枕と布団は自分で用意する必要がある。
一番驚いたのは、合宿中、スマホや腕時計といった貴重品はスタッフが預かること。
サークルの人から電話がかかってくると、スマホのことを抗議したが、合宿中はみんなに修行に集中してほしい、家族とかに連絡したい時は電話を借りればいい、とあくまで譲らない姿勢だった。
今更仕方がないので、受け入れることにした。二泊三日だけだし、スマホ中毒気味な自分にもちょうどよかったかも。

 

いざ行ってみると、これは紛うことなきカルトだと確信した。

 

お寺には建物がいくつあって、合宿中は主に訓練センターという三階建ての建物で過す。
一階は下駄箱と入口。中に入ると、師父の肖像が飾ってある廊下がある。ここを通る時、必ず師父に頂礼をしないといけない。
(頂礼:右手の親指が左手の親指を覆うように両手を胸の前に合わせる→右手の親指の関節で眉間を触る→一礼する)
二階は休憩所とトイレ。休み時間はここで感想を話し合う。
三階は講義と禅定する場所。奥には達磨祖師の肖像が。三階に上がると必ず達磨祖師に頂礼をしないといけない。
お寺の至るところにスタッフが配置されていて、前を通ると挨拶して礼をされる。

 

サークルと合流して、まず訓練センターに連れて行かれた。一旦荷物を二階に置いて、そこで同じグループの人と自己紹介。
基本グループ単位で行動して、グループごとに先輩が男女一人ずつついていて、面倒を見てくれる。
ほどなくして三階に上がって、スマホなどを没収されると開幕式が始まった。
この時点で私は様々な違和感を覚えた。
スピーチが異様に盛り上がる。コールアンドレスポンスが多いし、拍手喝采も何度も挟まれる。語呂の悪いスローガンを言わせてくる。
ぼーっとしているうちに開幕式が終わって、正式にイベント?が始まった。
この合宿のイベント内容は至ってシンプル。講義→禅定→休み→講義……の繰り返し。
ずっと室内にいて汗はかかないが、講義を含めてほとんどの時は禅定をすることになって、脚を休める時間がない。
講義中は禅定をしないといけないとは言っていないが、95%の人は当たり前のように禅定していて、しないとすごく目立つ。
特にうちのグループには、サークル活動にすごく心酔している人がいた。心の中で狂信者くんと呼んでいる。
狂信者くんは講義中も休み中もずっと禅定をしていた。脚を一切動かさなかった。
しかも講義を聴きながら十秒ごとに頷く。どこにそんなに感銘を受けたのかわからない。

 

その講義の内容というのもひどかった。
講師を務めるのは大体教団に長くいる先輩で、CEOだったり議員だったり社会的地位が高い人で打線を組んでいた。
ちなみに講師が紹介されて、前に来て、達磨祖師の肖像に頂礼して、また正面を向く、の間は拍手が絶対止まない。手が疲れる。
そしてみんな決まって話が長く、要点がない。
ずっと喋り続けるので、上手いように見えるが、話があっちこっち行って散らかるから、意識もすぐどっかに行ってしまう。禅定で脚が痛いし。
「ここに立つと話したいことがすぐ浮かぶから、事前に準備などしなかった」と言う人も。
講義には全て違うテーマが設定されているけど、大体以下のようにまとめられる。
・過去の成功談
・サークルから学んだこと
・禅定で人生が変わったこと
・師父とのハートフルな思い出
・六波羅蜜とかの難しい宗教の話
あと、やたらと拍手待ちが多い。手が更に疲れる。カメラが回っていることも多い。気が抜けない。

 

休み時間では二階に下りて、グループでさっきの講義や禅定の感想を話し合う。
うちのグループの先輩の一人は熱心な信者で話が長いし、狂信者くんもいたから、私に回ることが少なかった。
しかし、感想を聞かれるのは何もこの休み時間だけではなかった。移動中、食事中、風呂の時や寝る前も。
合宿の最初に、「俗世のことを考えない」と司会者が言ったように、世間話が一切出ないのだ。
次聞かれたら何を言えばいいかをいつどこにいても考えていた。

 

六時ぐらいになると風呂と食事の時間に入る。荷物を持って、寝室や浴室のある建物に移動する。
この時初めて寝室に入ったが、とにかくボロかった。マットレスなんてはなく、ジョイントマットが敷いてあるだけ。
お寺だと聞いていたのでそんなに期待しなかったが、ジョイントマットをマットレスだと説明されたのはさすがに騙されたような気分でイラッとした。
でも、ここにいる間はどんな文句も言っちゃいけない気がした。
なぜならこのサークルは自己の超越を掲げているから。
食事を始める前は全員でお祈りして、感謝を捧げる。食べている間は黙食だが、食べ終わると感想タイム。

 

また、合宿中では時間通りに行動することを強いられた。
一日目ではどこかで時間を押したのを覚えている。二分ぐらい。司会者に次はもっと早く集合するように厳しく注意された。
ところが会場には時計があまりなかった。スタッフ以外の参加者はスマホも腕時計も持っていなかった。
今何時なのか全くわかるはずがなく、先輩たちの指示に従うことしかできなかった。

 

十時ぐらいで一日目のイベントがようやく幕を閉じる。
と思ったら、最後の最後にまたグループで感想をシェアする時間が設けられていた。
しかもこれが終わると夜食が待っている。夜食の後はもちろん感想タイム。

 

二日目でやっとこの合宿の真の目的がわかった。教会への勧誘なのだ。
講義の内容は一日目の時点でひどかったが、二日目は師父の人柄の良さ、師父の慈悲深さ、師父の深謀遠慮なところ、などを説くものが特に多かった。
師父の奇跡エピソードも紹介された。
なんと目の見えない人や喋れない人を癒すことができるのだ。
ポイントになるのは、完全に癒すのではなく、微かに光が見えたり、あ…の一言を発したり、スケールの大きさを抑えたこと。
そして師父は言う。「あとは努力次第だ」と。あくまで本人が修行し続けることが重要らしい。
ついでに、この合宿が始まる直前に師父が訓練センターに来て、改めて祝福とかしたとも言われた。
道理で脚が痛くなるのがいつもより早かった!と先輩は感激。

 

この日の休み時間で、先輩が本気で教会に通うことを押してきた。
教会では師父が直々禅定の指導をするから、普段よりも効果が出ること。
師父もご高齢で、いつまで今の活動を続けられるかわからないこと。
私たち八十六代目の弟子たちは、八十五代目の師父を通じずに仏になれないから、「次代の宗師がいるから」と考えてはならないこと。
(八十六代目宗師は合宿に来て講義をしたが、特にオーラなど感じなかった)
もし教会に行く時間がなくても、本気で行きたいと思えば、障害なんて自然と乗り越えられるとも。
先輩が登録シートをすぐさま取り出すところを見て、この人たちはいつも用意がよくて迷う時間を与えないなと思った。
私がなかなか頷かなかったから、お水を飲んだりで一人きりの時もずっと話しかけてきた。
「○○さんは寝つきが悪いでしょ?修行を始めてからそういう負のエネルギーを纏う人がわかるようになったよ」と得意げに言われたが、そんなのAさんに聞けば一発でわかる。

 

夜に心灯の点灯の儀式があった。心灯に願いを込めるとそれが叶うみたいな定番のもの。
本物の蠟燭が入っているものを想像したが、実際もらったのはすごく小っちゃいナイトライトだった。
ちなみに願い事はその場で配られた紙に書かないといけなかったし、休み時間にどんな願いをしたか聞かれた。
最後の感想タイムでまた先輩に勧誘され、沈黙で通ったら、まずはお試しでオンラインサービスの会員登録する話に。
これなら会費もかからないからいいでしょ?と。
帰ったら自分でサイトを見てみると言ったら、合宿に申し込む時に入れた資料で登録できるから、こっちで手続きをすると言われた。
しまったと思ったが、折れないと訓練センターを出られるかどうかもわからなくてとりあえずそれでいいことにした。

 

三日目でも隙あらば「自分に変わるチャンスを」と勧誘された。
この日の朝は少し面白いイベントがあった。リーダーは国際情勢に関心を持つべきとかなんとかで、国際ニュースについて討論するもの。
最近一番熱いウクライナ戦争の扇情的なニュース動画が流れて、泣きそうになった人も。
動画が終わると用意された問題についてグループで話し合う。
詳しい内容は割愛するが、司会者の立場と同じ答えに誘導する問題文な上に、結局表面的なことしか言っていなくて、これといった面白い見解が全くなかった。

 

昼食はグループではなく各校で集まって食事をすることに。
積もる話をさせるためかいつもより時間が長く、順番に感想を言うことになって、すごく盛り上がった。
午後ではようやく終了式に入る。が、まさかこれが一番だるいイベントになるとは思ってもみなかった。
まず、色んな人が感想を。スタッフはまだわかるが、狂信者くんまでも参加者代表として前に立った。
途中で何度も泣きそうに見えたが、無事泣くことなく狂信者くんの感想が終わった。
泣き出すと一度拍手が始まって更に伸びるから、彼の努力には素直に感動。
そして各校のサークル部長の後任へのバトンタッチの儀式が挟まれ、何人かの部長が感想。
その後は会場の掃除をして、これも禅だと言われた。
うちのグループは一番早く清掃作業を終えて、他のグループやスタッフたちを待つ時間がひたすら退屈だった。
三階も掃除されたのに、掃除が終わるとまた三階に集められて、もう何の名目か忘れたが、感想があった。
最後にやっとスマホを返されたあと、合宿中に勧誘された人の資料をまとめる時間が設けられていた。新メンバーがたくさん増えると予想されただろう。
ここで先輩がオンラインサービスの登録手続きをして、今アプリをダウンロードしないか?と聞いてきたが、もう我慢の限界なので、スマホの電池が切れそうだからと断った。

 

いよいよ荷物を持って帰りのバスの乗り場へ行くことに。移動中もカメラが回っていた。
バスに乗って機嫌が直ったが、まさかのまさかのバスでも一人ずつ感想。
特に修行が進まなかったとか、言いたいことがないとか、素直な感想を言う人も何人かいて、口に出せないだけで私と同じ感性を持つ人もいるんだなとすごく安心した。
家に帰る前に色んなジャンクフードを買って怒りを発散。
師父のご加護が!と配られたお米を駅のゴミ箱に捨ててやりたい衝動に駆られながら、食べ物に罪がないと思い家に持ち帰ったけど、食べたくない。

 

終わってみれば、この合宿のおかげで目が覚めたといい経験のように思える。
今までの私は仏教に疎くて、サークルで教えられたことは普通かもしれないと考え、批判しないようにしていた。
禅定を始めることがきっかけで、体調がよくなったり性格が明るくなったのもきっと悪いことではない。
Aさんも普通にいい人だ。というか、サークルの人たちは押しつけがましいところを除けば、全く毒を感じない優しい人ばかりだ。
感想を言わされるのは苦手だけど、サークルの人は私が言ったことを否定しない。むしろ、毎回拍手をくれて褒めてくれる。
自己啓発だのリーダーシップだのも、カーネギーが有名だから人によってはいいものだと考えている。
しかし今は、「宗教」で「リーダーシップ」は噛み合わないんじゃないかと思う。
私のように精神が弱まっていたが、いかに禅定で持ち直したかの経験をやたらシェアするのも、カルトの常套手段。
ついでに言うと、こんな風に感動ポルノを押してくるのはどうにも気に食わない。
さらに言えば、生きた人間を仏と並べて語るのは、正常な宗教であるはずがない。

 

帰って色々調べたら改めてわかったこともある。
・大学には実質同じ活動をしているサークルが二つある。一つは私が参加しているもので、もう一つは明らかに仏教と関係している名前のもの。
・師父が立ち上げた政党もある。
・私が学生だからかまだ実害が少ないが、党への加入やくそ高い蓮座というものの購入を強いられた人が多い。
・ネットで書かれた教会の会費は登録シートに書いてあった金額と違うので、値上げするかもしれない。
・サイトにログインしてみたが、退会できるところがない。
・師父のかつての弟子が別の宗教を立ち上げたが、そっちもカルト。

 

なぜ日本語で書いて投稿したかというと、こっちの大手SNSのほとんどに熱心な信者がいて、サークルに不利なことを書いたものはすぐ報告されて削除される。
それと、私はAさんとまだSNSで繋がっている。今でも友達でいたいと思っている。
これから上手くサークルを抜けられるかどうかまだわからないし、今抱えている違和感を言語化して一度整理しないと、いずれ洗脳されそうで怖い。
この投稿が見つかると一発で誰が書いたかわかるけど、見つからないことを祈る。

 

初めての投稿で不慣れなものなのでどうかお手柔らかに。